miyaniyanのブログ

ここでは日常生活の雑感を。 

アジャイルでもウォーターフォールでもなく・・・

なぜか http://www.amazon.co.jp/dp/4822281108/ が読まれているように、システム開発の特に人にまつわる問題は相変わらず変らないように思える。
品質や生産性に関する議論も、60年代あたりの調査や考え方から大きく変っていないようにも思える。(すべてのコードを、同じ言語で語るとか、フレームワークやDBを考慮していない生産性など)

そんな中、アジャイル開発のアジャイル宣言やプラクティス、Scrumのようなプロセスやマネジメント、などは、それそのものの主張や啓蒙という以外に、いまだ大きく変っていない人の問題や品質などの問題を抱えているシステム開発の現状に提言をしているという側面があると思っている。

でも、現状を語るときに、WF(ウォーターフォール)を引き合いにだし、すべての問題が、そこから生まれるかのごとく説明し、今のシステム開発の悪いところは、WF型開発にあるといわんばかりの話は、まったく、どうかと思ってしまう。WFって単にプロセスの話じゃないかと。

自分は、10年以上前にRUP(ラショナル統一プロセス)に近い、アーキテクチャ中心の開発技法を定めたり、最近では、アジャイルスクラムの話をすこし現状の開発現場にあわせるように、リリース駆動型軽量プロセス技法を定めたりしてきて、ある意味メソドロジストとしての仕事もあるのだが、最近の、アジャイル vs WF の比較とか、とても無意味な話に思えてしまう。

実は、アジャイル推進派というか、スクラムとかやっている人は、もうそういう比較や論争にかかわらず、どんどん次のステップ−つまり、やりたい開発に注力しているのが現実かと思っている。

どちらかというと、そういう話を取り出してくるのは、今頃になって、そういう動きが気になってきた人たち (これまで、さして、開発の仕方に疑問を感じず、ちゃんとやればうまくいって当たり前で、うまくいかないのは個人の能力か、顧客が悪いぐらいにしか思ってない人) が、なんか、世の中そういうのあるんなら、どういうものか定義して、標準化しようとか、知財化しようとか、要するに何かネタを探しているところに出てくる話のようにも思う。

そのせいか、盛んにアジャイルを学ぼうという、いわゆる盲目的な勉強家たちが増えてきて、アジャイルでは、こういったやり方をすべし、とか、スクラムではこういうやり方でやるべき、みたいな教育ビジネス的な流れにつかまっている。
(おいおいまたかよ、PMBOK、CMMI、ITIL、、、いろんなフレームワークやナレッジベースと、なんか一緒になってしまっているじゃねーか、、、で、資格取得者数 何名が、組織目標になり、意味不明な育成プランが走り、数字だけを追っかけるやり方が横行する流れ)

本質的でないものを追っかけて、表面的な成果指標に取り上げられ、無意味な組織目標に力を注ぐことを、組織にいる人間としては、否定はしないが、あまりにこういった話に終始すると、いやになってくる。

アジャイルウォーターフォールは比較するものでもなく、それはどういう観点から、システム開発を捉えているか、他にもいろんなチーム生成や個人の力、組織論などいろいろあるんだからそういうものをしっかり追っかけてみていきたいとおもうんだよなあ。