SIエンジニアは必要だが、SI組織はおわった・・・(あるつぶやきから考えたこと)
「僕はSIエンジニアが終わったとか全然思わないし、お客様と話していてSIという業態が終わったとは思えない。価値ある新しい技術に、皆興味があり提案欲しいと思っていて、現場はそのニーズを正確にとらえている。だけどその活動を組織で進めるSI会社という器は残念ながら終わってると思う。」 @bohnen on Twitter
ということにとても共感する。
最近、組織の中でも多いのは、
顧客とちょろっと話をしたとか、同席したとか、そういう事実だけを積み上げて、俺は現場の動き知っているよ、っていいたいらしい。で、いうことなすこと、すべて社内のだれだれに向けて、ばかり意識していて、わざわざリスクは取れんよな、リスクあること承知で、お前やれっていってもらうまでは、自分からいわねーぞ、とか。
一番、くだらないのは、情報を知っていることを重要だと思っていること。「ああ、あの件ね、あれって、あーだよね、(俺知っているよ、いろいろ)」っていいたいらしい。で、お前関係あんのかよ、っていえば、「その件じゃなくってさ、もう一つのあの件、人出せっていわれて大変だよ、いろいろうちもいっぱいだしさ、」とか。
現場の足を引っ張るような、組織の押し合い、ああ、あの技術も必要だな、その辺だとさ、xxxx氏に聞いてみた?彼がどういうかだよな、・・・・って自分で評価することできないのかね。
いや、そうじゃなく、これが組織として仕事をすることだ、といいたいのだろう?
彼が、世界的な技術者ならいざ知らず・・・
だから、技術に対する俊敏性、対応力を欠くんだよ。
(俊敏性に関する誤解は、別途書こう。)
だから、間違った方向にしか変化できないんだよ。
で、それを認識していないんだから、始末が悪い。
#ちなみに、新ビジネスを考えるときも同じ。システム開発じゃないものは、「ほんとうにできんの?」って
#本当にできんの?ってぐらいじゃないと、新・・・・にならんだろうが。
#しかも、できないのは、お前だろうが。できるためのサポートせいよ、それこそ19世紀モデルだぜ。
#あ、これおもしろいネタだな。ビジネスモデルが古いのではなく、そのモデルから脱せない人が古い。